病院の広場
一つの成長
小坂 政一
1
1福井県立病院
pp.13
発行日 1967年7月1日
Published Date 1967/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541203119
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福井市は人口約17万,西端には福井赤十字病院,市の中央を流れる足羽川に臨む済生会病院,東郊には平岡山とは名ばかりの丘陵に接して福井県立病院と精神病院がある。これらの4病院を合せて1,738床,他に私立24病院の病床504を加えて福井市民の要望に応えているが,病院の利用者は年々増加の傾向にある。平岡丘陵の近くに病院が建てられたのは昭和の初めであって,一医師の未亡人が夫君の遺志を継いでこの地籍を借用し,田を埋めて,財団法人のサナトリウムと精神病院を設立した。北陸の一女性としては驚くべき卓見ではあったが,当時の時流に先がけること十数年の事業であったので,一部の市民ならびに同業者の執拗な反対を受けつつも,病院の経営に努力し,終戦の前に突如として病没された。昭和16年12月,大平洋戦争に突入してから,福井県鯖江市の出身である厚生大臣故K軍医中将は国の方針として,健民修練所の開設と,各府県に医療団病院の設置をうち出し,その本部を東京に置いたが,戦況が不利となるにつれて日本の各地が空襲の危機に曝される日が多くなり,ついに医療団本部も空襲を受けて省線お茶の水駅付近にあるS小児科病院に居を移した。福井では昭和20年に入り,この平岡丘陵の下の施設を利用して医療団福井県中央病院が置かれることになり,開設の責任を当時のK大学医学部長の命を受けたT教授と県衛生課長M君から私に依頼があった。
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