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生活協同組合より出発した病院—中野組合病院
pp.9-12
発行日 1966年12月1日
Published Date 1966/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541202991
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昭和の初期には,健康保険は一部の労働者に限られ,貧困者には施療病院があったが,一般の国民は医療に多額の費用を要した。「今日完全に医療を受け得る者は,少数の金持かしからざれば極貧者と銘打たれたわずかの人々に限られるといった奇怪な社会現象を呈している」(東京医療利用組合設立趣旨書より)という状況であった。そして「医は仁術なりとの本来の精神に,新しき経済組織を与え,組合員の協同の福祉のために」(同上),新渡戸稲造,賀川豊彦,その他有志により昭和7年に中野組合病院(東京都中野区宮園通4-11院長=三方一沢先生)は設立された。
それより30年余,健康保険制度は全国に普及し,同病院は昭和40年には330床の鉄筋コンクリート5階建の病院に成長したのである。
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