--------------------
「メジカル・ソシアル・ワーカー執務基準」の出來るまで
千種 峯藏
pp.75-80
発行日 1952年6月1日
Published Date 1952/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541200495
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
私の勤務している厚生省關東信越地區の國立病院,國立療養所には,現在專任のソシアル・ワーカーが21名おる。昭和25年6月,私がこの管内に超任した當時も,已に専任者10名を數えていた。その當時,これだけのソシアル・ワーカーが居るならば,すぐにも,「何か纒まつた動きをしなければならない」と思つたのだが,しかし,わが國では,この仕事はまだ板につかない新しい仕事であるだけに,しかも,職務組織とか,指令系統とかのやかましい國立機關であるだけに,一層,下手な力みかたをすると,反つて,尚早論とか,反感等の反響を呼ぶ可能性があるので,最初の一年間は,ソシアル・ワークにはあまり觸れずに,むしろ,管内全國立醫療施設の運營と管理の實態を把握するという予備工作に當ることゝした。そして,ほぼ,管内の運營と管理の鳥瞰圖が出來たところで,昭和26年度に入つて,始めて,ソシアル・ワークの推進に乘出した。その行き方は,毎月一回づつ,專任ソシアル・ワーカーの會合を設け,それも各ワーカーの所屬する施設の廻持會合を設けて,半日は當番ワーカーの處理したケースの研究討議をやり,半日はメジカル・ソシアルワーク推進上の根本問題,重要問題,緊急問題等を討議することにしたのである。そしてこゝに發表しようとする「メジカル・ソシアル・ワーカー執務基準」は,根本問題として,最初から重點的に取上げられたテーマなのである。
Copyright © 1952, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.