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病者から見た病院(下)
山本 武夫
pp.43-46
発行日 1951年4月1日
Published Date 1951/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541200311
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私はかつて脊椎カリエスの時代に色々な病氣をやつたので私の生活には,何々の時代何々の時代と病名で區別される時代がある。亡くなられた東大の名譽教授だつた田代義德士の治療を受けていた。博士が私にとつてくれた態度はArztとして立派だつたと思うので,私は此處で博士を例にひいてみたいと思う。博士は大學と自宅の病院と二つにわけて治療されていた。自宅の方は大抵Privatの紹介で來る患者で,財力のある人が多い。博士もその點ははつきりしていて,治療費もこの方では他の何威のArztにも負けないだけの要求を患者に對して求めた。私は紹介があつてこの方へ行つた,その時の情勢もあつて私の家の財力を相當に見られたものらしかつた。私自身は實際はそれどころではなく,私の他に弟三人がみんな胸を患つて,一家慘憺たる状態にいたので,父が悲鳴を上げ,私の醫療を博士のPrivatから大學へ移して貰うように交渉しろということだつた。今から考えれば父が悲鳴を上げたのは全く無理ないのであるが,その當時の私の氣持ちでは,暗憺たる氣持ちだつた。
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