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病者から見た病院(上)
山本 武夫
pp.37-41
発行日 1951年3月1日
Published Date 1951/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541200293
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これからの病院がどんな在り方をするかについては日本には問題がありすぎるほどあるにちがいない。殊に終戰後日本は凡てに於てアメリカの指導を受けるようになり,從つて向うでの病院の在り方がそのまま日本に流れこんで來ることは當然で,これだけでも大變なことだが,經濟的條件にひどい隔りのあるこの二つの國に於て,アメリカの様式をそのまま日本に迎え入れることは事實的に不可能であることが想像され,そこから數多の矛盾が出て來ることが考えられ,從つて日本の病院はこれから多事多難であろうと推測される。病院當事者は,これからあり餘るほどの仕事に忙殺されるだろうし,多くの優れた專門家がそれに應じて續々現われ,それぞれに專門の意見をき,且つそれを行動に移して行くにちがいない。そんな中に,私のように何等その道の研究もなく,專門知識もないものが言葉を出すことは,そうした方面からみれば無價値に近いと思う。ただ私は不幸にしてと言つていいか,幸にしてと言つていいか,私の一生の3分の2を病氣ですごしている。私が病み出したのは20歳の時で今50歳だから,人生50年の3分の2を病者として生きているという特殊の運命を背負わされた。こういう特殊の運命を背負わされれば私でなくても誰でも病氣について,また病氣をめぐる幾多の問題について否應なしに何かを考えさせられ,それについて,その人の學問とか智能とは別に,何か一つのものの見方というものが成り立つているはずである。
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