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病院概史(その9)
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pp.2
発行日 1950年7月1日
Published Date 1950/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541200162
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僧忍性は奈良に癩人院を建て(1243)18,000人を收容,食を給し八関齊戒を授けたという。尚桑ガ谷療病院は20年間に57,250人を收容し,癒ゆる者46,800人,死する者10,450人といわれているが,吾国文献に現われた病院死亡率の嚆矢というべきか。その收容患者の疾病内容は別としで,死亡率18.2%である。
鎌倉時代から南北朝時代を経て足利時代に入る。長い間,世は戦乱の為疲弊したに違いないが,足利義詮は京都に療病院を復興(1367)し,医師但馬道直を院長にしたが,後義満が京都に相国寺を創建(1381)したことと合せて幕府の人心收攪策に違いない。
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