座談會
家庭婦人と病院(下)
羽仁 說子
1
,
川西 田鶴子
,
風岡 とき子
,
金子 真子
2
,
吉田 幸雄
3,4
,
守屋 博
4,5
,
久松 榮一郞
6
1自由学園
2婦人経済連盟
3厚生省医務局医務課
4病院管理研修所
5国立東京第一病院管理部
6学術書院
pp.23-31
発行日 1950年1月1日
Published Date 1950/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541200073
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○看護婦の質が低下していますネ……
金子 看護婦さんになり手が今少くなつておりませんか。一たいに人も少ないんでしようが○大なんか看護婦さんが非常に少くて,逃げられては困るというので,先生方がチヤホヤして,外科の看護婦にはなり手がないというので実に少い看護婦で大勢の人を見ているというふうで,看護婦さんの言葉つきも何もあつたものじやない。実に看護婦というものが低下しておりますね,素質が…
守屋 良い病院だといくらでも来る。看護婦が若干いても,良い所に行つて勤めたい,勉強の出来る所に勤めたい。病院が悪いと勉強出来ないんですね。それで看護婦の働きいい病院をつくるということはいいことで,どつちが先になるか分りませんが,看護婦が来ないと良い看護もできないし,勉強もできないということになりますから,病院によつては看護婦をとる豫算というものが出さえすれば,いくらでもあるという状態なんです。
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