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成長の限界
1980年代,スタンフォード・メディカル・センターはスタンフォード大学と同じ大きさの敷地面積にまで拡大して,多くの研究所や小児病院を持つメディカル・インダストリアル・コンプレックスと呼ばれるものにまで成長しました.「スタンフォードの “売り” は?」と聞かれたら,高いレベルの教育と研究を挙げる人もいるでしょう.一方,病院を単なるビジネスと割り切れば,500億円(1ドル100円と計算して)の収益を上げることができると目されていました.
スタンフォードが,医学の分野で大きな功績を残してきたことは言うまでもありません.世界で最初に癌患者さんに心肺移植に成功し,スタンフォードの医師400人が US ニュースの名医にランクされ,スタンフォード自体も癌,心臓,耳鼻科,小児科でアメリカ屈指の病院としてランク付けされていたのです.
一見,スタンフォード大学の病院経営はうまくいっているようにみえたのですが,アメリカ医療経済の減衰という流れの中で例外とはなり得なかったのです(図1,2).スタンフォード大学は私学で非営利団体であり,医療,授業料,研究費そして寄付といったものが収益の中心で,国によって運営されるものではなかったのです.
加えて,大学関連病院としては保険未加入の患者さんも診ており,このため1989年約50億円の医療費がスタンフォード大学に未払いのままとなっている状態でした.
また,メディケイド加入の患者さんに関しても病院は1人1日当たり約2万円のコストを支出していました.今までは,このような保険未加入者や老人で出る赤字を通常の保険でかかる人たちからの収益で賄っていたのが現状でした.しかし.民間保険会社も時代とともに厳しい制約を加えるようになってきていたのです.
1990年当時,まともに医療費を払える患者さんは全体の18%でしかなくなっていたのでした.そのため個室差額などきちんと支払える人達に負担が上乗せされる形となっていました.
他の病院も類似の問題に直面していましたが,スタンフォードが教育や研究に支出しなくてはならない分,一日部屋にかかる費用だけとっても一般病院が5~7万円なのに対して,スタンフォードでは6~13万円かかっていました.またスタンフォードを巣立っていった医師らは,同じ医療を安価に提供できる医療機関を作ってしまうために,逆にスタンフォードの競争相手と化したのでした.
心臓冠動脈手術が良い例で,1970年代にこの技術をスタンフォードで習得してスタンフォード外の病院に移った医師の多くは億万長者となったものです.一方,スタンフォードに運ばれてくる患者さんは他の病院でも診ることのできない多臓器不全の重症例ばかりが残ってしまったのでした.その結果,30%のベッドは空いているような状況です.
1985年頃であれば約17億円の収益を上げていたのに1990年は14億のマイナス,予算を切り詰めても1億の赤字を出してしまいます.1991年は2.5億の赤字が見込まれました.このような状況では優秀な医師をひきつけておくこともできません.
患者数を増やすために,スタンフォードは他の病院ができない分野の開拓を進めました.腎臓,肝臓,膵臓などの移植,疼痛管理センター,精神ユニット,新しい小児病院などです.
また,病棟入院部屋料金の値段も安めにおさえています.さらに,実験研究者ではなく,患者を診ることができて教育のできる医師を多く雇ったのでした.
彼らには患者さんをより多く診ることが期待され,期待に応えたものにはボーナス・アップで応える仕組みをとりました.それでも,スタンフォード大学病院の事務系職員は,「さらにビジネスライクに考え方を展開しないとスタンフォードは経営難に陥るだろう」とみていました.
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