とびら
明日への道
奈良 勲
1
1三愛会伊藤病院リハビリテーション部
pp.9-10
発行日 1972年2月9日
Published Date 1972/2/9
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1518104176
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患者の明日への道に
光がとどくだろうか?
それを望むのなら
セラピスト自身が
太陽になることだ!
人間が何かに没頭している姿はたいへん美しいと思う.たとえ,それが何であってもよい.子供たちが浜辺で砂遊びをしている姿でもよい.男と女が愛のかたちとして,性を営んでいる姿でもよい.狂人が鳥を追っている姿でもよい.それらはすべてみな詩的に思える.そんなとき,時間の感覚も,存在の意識もなくなるからだろう.
人生は漠然と過ごすには,それは余りにも永すぎるように感じられる.存在の意識が過剰になると,それが重荷になり,そしてその重荷に耐えられなくなると,人間は逃避を試みる.自由からの逃避だろうか? それとも,自由への逃避だろうか?
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