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Ⅰ.初めに
精神障害者に対するデイケアの始まりは,1946年カナダのCameron Eが,外来診療を充実させ,入院治療に匹敵するケアを行うことを目的に開始,また,同じ年にイギリスのBierer Jは入院主義を排し,デイケアの構想をもちロンドンにマールボロ・デイ・ホスピタルを作ったと伝えられている.
我が国では,1958年に国立精神衛生研究所(現国立精神・神経センター)において試みられたのが最初であった.
当院では1)1960年9月より,ポストホスピタルと対象を定め,主として当時の社会復帰病棟に試みられ,通院者は常時2~3名であった.その後も社会復帰病棟を中心に実施されてきた.1970年代に入り,当時リハビリテーション活動の重要な位置を占めていたナイトホスピタルが,適合者の減少やオイルショックを契機とした不況の影響で,しだいに減少したのに対し,デイケア対象者は年々増加傾向にあった.したがって,今まで社会復帰病棟の一機能として行ってきたデイケアに限界が生じ,1978年11月に新しくデイケアセンターが設けられた2).そして,1980年3月にデイケア施設認可が下り,現在に至っている.
デイケアが社会復帰病棟より分離独立する以前は,デイケア対象者の特別なプログラムは無く,そのほとんどが院内作業療法体系内で何らかの作業療法を受け,家庭へ帰るというシステムが採用されていた.したがって,デイケア施設はセンターとして独立しても,その治療的活動は作業療法を中心としたスケジュールとなり,そこに作業療法士の役割の重大性を感じていたものである.
精神科デイケアは,1974年に精神科作業療法とともに保険給付の対象になっていたが,施設認可を求める施設はほとんどなかった.当院でも,作業療法については即,施設基準承認を取り付けたが,デイケアについては前述のように6年後のことである.デイケアの施設基準中の人的基準では,専従作業療法士1名が必須条件として確立されていた.このことは,当時確かに作業療法士の数が少なかったにせよ,理論的には正しい扱いであると私たちは考えている.しかし,残念ながら4年後の1978年に厚生省はデイケアの普及の妨げになっている要因に,作業療法士の不足が第一とし,作業療法士枠を,経験ある看護婦(士)=(指定講習会終了者)の読み替えを実施した3).確かにデイケアの普及は,精神障害者のリハビリテーションの一環として,また,プレホスピタルとしてのケアに必要な治療形態であり,さらに普及発展しなければならない.しかし,今,政府が進めている国民総医療費削減の一環として,入院ベッド数の削減方向と関連し,これを第一義としたデイケアの普及や在宅医療の推進が先行し,マンパワーが軽視されるようであってはならない.
したがって,今後はマンパワーを中心に,その中身の充実が問われなくてはならないと考える.精神医療は,高度な先端医療機器・技術より,何よりも人的資源・マンパワーが原動力であり,福祉的な対策とともに重要である.このような中にこそ,それぞれ職種の専門性や守備範囲が論じられなくてはならない.
今回,難題なテーマについての執筆を受けるに当たって,精神科デイケアに従事あるいは関係する協会員((社)日本作業療法士協会)から,時間的なつごうもあり一部の方からご意見を賜った.
以下,デイケアにおける「作業療法士の守備範囲」というテーマに関して考えてみたい.
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