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はじめに
『昔,われわれの祖先は2本の足で立ち,手で火を使い,道具で物を作り,言葉を覚えて人間になり—,粗野な原始人は,恋人に花束を捧げることで,「心」をもつようになりました。
人々は集団生活のなかで,書字,絵画,手仕事によって自己を表現し,働き,お互いに理解し,心をかよわせあっています。
社会には,老若男女がおり,病人も障害者もいるのです。弱者の立場を尊重できるように,みんなで助けあい,愛しあえるのが福祉社会なのです。』
これは,5年前に静岡県で運動療法と作業療法の併用に関する査定減額問題がおこったとき,関係各方面にリハビリテーション医療への正しい理解を求めるアッピールを行ったが,このときに配布したパンフレットの冒頭に掲載した短文である。
ここで私が言いたかったことは,人類進化の過程で重要なことは,人間が,手で自己を表現し,心をもったことである。そして,これらは言葉の違いを超えて理解しあえるのである。
また,系統発生的にみれば,幼児の処女歩行は自由への旅立ちであり,3歳をすぎた小児がオムツを外したときが人間としての尊厳を確立したときなのである。
この幼少児の喜びの体験を知らなければ,寝たきりになって,自由を失ない,差恥心もすてなければならなくなった老人の悲哀も理解しえないであろう。
アジア大陸から太平洋にこぼれ落ちた日本列島は,南北には狭いが東西に長く広がり,気候風土も異なり,その生活習慣も様々である。そして,ここにも長い人間の歴史があるのである。
私達は,この気候風土や生活習慣に適した日本人のためのリハビリテーションを確立しなければならない。
戦後,わが国に近代リハビリテーションが導入されてから漸く四半世紀が経過しようとしている。
いうまでもなく,作業療法は理学療法とならんで,文字通り,リハビリテーション医療の両輪として中核的役割を担っているのである。ただ,私にとって疑問だったことは,人間たる所謂でもある高等な精神活動や創作活動,社会適応能力にアプローチする筈の作業療法が正しく理解されていないのは何故か,ともすれば,軽視されているとしかいいようのないときがあるのは何故なのであろうか,ということである。創成期では,どこの学校でも,作業療法科は理学療法科より入学し易かったことは事実であり,それを聞いた私の驚きをまだ忘れてはいない。
入学の難易がその役割の軽重を意味するものでないことは当然である。その時から,私は作業療法が理解できるリハビリテーション医になりたいと考えたのである。それは,人間の本質が理解できなければ,本当のリハビリテーション医療はできないと思ったからである。勿論,理学療法が重要ではないといっているのではない。過去のドイツ医学の知識でも理学療法は比較的容易に理解されるものであり,一般社会の常識でも大きく誤解することはあるまい。私は,わかり易い理学療法を理解することは当然であり,わかり難い作業療法もマスターしたいと考えたのである。
私が洞爺湖畔でリハビリテーション医療チームを結成するために若者達を集めたのが昭和40年である。リハビリテーション医療の創成期—作業療法の創成期を回顧しつつ,その役割を考え,将来を展望してみたいと思う。
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