特集 理学療法と作業療法20年の歩み
<随想>
私の歩み
松本 妙子
1
1清生園
pp.35
発行日 1986年1月15日
Published Date 1986/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1518103486
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「十年ひと昔」というが,私のOTとしての歩みは,ふた昔になる.リハビリテーションという言葉を耳にしたのは,まだ栄養士だった昭和35,6年頃,機会あって都立松沢病院を見学した時であった.その後,料理教室や野外食など患者さん達と生活を共にする中で,リハビリテーションとは何かを知りたくなった.そのような時,清瀬に国立療養所東京病院付属リハビリテーション学院が創立され,清生園から内地留学することができた.入学して初めてOTを知った.卒業後,精神科のOTとして今日まで,唯ひたすらに患者さん達と共に歩んできた.
最初は,作業療法をすればするほど,赤字が増える,という医療点数化されていない苦難の状況下であったが,病院内は患者のリハビリテーションについて積極的にとりくみ,作業療法はその主役であった.施設も職員も新しく,毎日が新たな出会いであり,すべてが勉強の場であった.作業種目も院内作業から院外作業へと広がりをみせ,職員も徐々にその数が増えていった.また,清瀬のリハ学院実習生の受け入れも昭和44年から始まり,院内での医師,看護者,CP,PSW,OTなど医原従事者間が,組織的に機能をしはじめ,病院全体が活気に溢れた時代であった.
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