特集 理学療法と作業療法20年の歩み
<随想>
私の歩み
石橋 朝子
1
1札幌医科大学衛生短期大学部
pp.27
発行日 1986年1月15日
Published Date 1986/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1518103478
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20年といえば二昔の余になる.リハビリテーションの面から,この間を振り返るならば私にとってはおよそ,3っのエポックに画されると思う.その一つは北海道に発生した未曾有のポリオ禍であり,その二はPT・OT法と国試制度であり,その三は札幌医科大学衛生短大発足の三点である.以下に順を追って触れる.
まず最初は昭和35~36年にかけて北海道夕張に端を発したポリオ旋風で,その惨状は,またたくまに北海道全域に広がった.当時の母親達によれば戸口には小児麻痺の家と貼紙され,クレゾールで真白に消毒された家々から隔離病棟に運ばれた児らはべッドが足らず,陸にあがったマグロのように廊下に並べられたという.中には疎開した先で罹患した子もいる.生ワクチンやガランタミンに明け暮れた日々であった.やがて,これら患児の守る会が全道規模で発足し.医療機関はもとより,政・財界の強力なバックアップのもとに療育対策が次々と打ち出されていった.その一環として北海道小児まひ財団が設立され,これを毋胎として療育技術者(機能訓練士)養成が日本整形外学会認定のもとに進められ,道内10ヵ所に療育施設(マザース・ホーム)と20名の要員が配された.私は4期目の受講で芦別市に配属された.焦眉の急とはいえ,道内有数の大学教授らによる408時間の受講内容は今にしても濃厚過密なスケジュールであったと思う.またその理念と体系は北海道独自の漸新な療育体系で全国から多くの参観者が訪れた.
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