The Japanese Journal of Physical Therapy and Occupational Therapy
Volume 9, Issue 9
(September 1975)
Japanese
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1.はじめに
わが国における脳性まひ(以CPと略す)治療は,現在ある意味では一つの動乱期にあるといえる.
CP児に対する組織立った治療体系は,第二次大戦後Phelps,Deaverらによって確立されたといわれるが,その治療の方法論はいわゆる伝統的アプローチが優位をしめていた1).この「伝統的」アプローチと呼ばれる治療体系は,装具療法,手術的治療とともにPhelpsの15の手法にみられるように豊富な手法を含んでおり,しかもそれらは,固定化されたものではなく,不断に変化し発展し来たって,近代の医学的リハビリテーションの基礎ともなっているのである.
わが国の肢体不自由児施設が上記の治療体系を一つの基準としで作られて来たことは明白であるが,この種の施設が全県設置をみたのは1961年のことであるといわれ1),実情として,近代リハビリテーションのチームを備えた施設の数はいまだに多いとはいえない.わが国のCP治療の主たる場である肢体不自由児施設がそのような実情にある一方,世界の,そして当然日本のCP治療には大きな変革が起こっている.即ち「神経生理学的アプローチの導入」と「早期診断治療の実践」である.この両者は互いに不可分の関係にあるが,早期発見の体制,異常運動発達についての基本的な考え方および診断技術,早期治療の方法論,母親指導をふくむ乳幼児治療体制,等々の新たな要素をそれまで発展してきたCP治療という大きな体系の中に加えるものとして,我々に考え方の脱皮をせまっている.
日本のリハビリテーション界の特殊な状況として上田2)は,従来の医学からリハビリテーションの理念への変換と,医学的リハビリテーションの古典的な理念から「ファシリテーション」という新しい立場へという2回の「回心」を経験している,と述べているが,CP治療の場ではその状況が,短期間のうちにしかも重複して起こっており,まさに動乱期にあるといえよう.
CP治療訓練の手技にかぎって考えてみると,日本における最近数年の大きな動きとして,昭和48年秋にBobath自身が来日してBobath法の研修会が行われたことと,ほぼ同じ時期にVojta法が導入されたことが挙げられよう.Bobath法が日本に最初に紹介されたのは昭和40年頃といわれるが3),その後,来日した外人PTや,留学して手技を学んだ少数の日本人PTによって少しずつ治療手技が導入され,Bobath自身の来日は久しく待たれたことであった.Vojta法については,幸い紹介されて2年たらずで,本年9月にVojta自身が来日してVojta法の研修会がもたれる予定であり,大いに期待されている.とはいえ,この両者も我々が従来から持っていた治療技術の体系と競合するものでなく,変革をもたらしつつも,吸収され統合されてゆくべきものであろう.
足立学園では佐竹4)が昭和48年4月~8月にVojtaより直接指導をうけてVojta法を持ち帰ったが,同年9月のBobath法研修会に当園のPT松浦が参加し,続いて約3カ月の渡英により更にBobath法についての理解を深めて帰って来たことでBobath,Vojta両法がほぼ同じ時期に原法に近い形で取り入れられた.それ以前までは,当然「伝統的」アプローチが取られており,特に高松が翻訳したKeats5)の考え方は,整形外科医がリーダーとなったCP治療チームという概念として,当園の治療体系の基礎の一つとなっている.
以上のように当園でのCP治療には,現在,「従来の治療法」,「Bobath法」,「Vojta法」が,単独に,あるいは重複して互いに影響し合いつつ応用されており,今や一つのカオスの状態にあるといえる.しかし私共はその中にあって,これらの諸法に対して,第一に正しく追試してその有効性と限界を明確化すること,第二に,それぞれの基礎理念に我々の経験を通しての思考を加えて,それぞれを越えたところで,統合化を摸索してゆくことが正しい姿勢であろうと考えている.
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