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本邦で始めてこの問題を提起したのは周知の如く,昭和35年春,新潟の学会に於ける後藤(敏)教授の発言1)である。氏は中耳腔粘膜と乳様蜂窠粘膜の性格の差異に対する実験的根拠からの自家経験に,欧米臨床に於ける見学所見を裏付けとして,術前に充分な化学療法が施された多くの慢性中耳炎に於て蜂窠を広く削開する必要のないことを報告したが,私も当時少数の経験乍ら,全削開を常に行うことに対する疑問をもつていた。
私2)が鼓室形成術を始めたのは,昭和32年末であつた。当初は,術創の治癒を第一の目的として従来の根治手術に植皮を行つていたのであるが,漸次先進諸家の術式を追試し乍ら本格的な鼓室形成術に移行し,更に昭和35年始めより"meato—plastic method"(大内)を行つて現在に及んでいる。この本格的な手術手技に到る迄の経験の間に,私はWullsteinが書いている様な3Controlsを常に追試してみたのであるが,多くの症例が,そのControl holeからの観察,或はそこからの簡単な病変処理ではすまなくて,結局は従来の根治手術の場合に準じて蜂窠を削開し,外耳道後壁を削除して広い術野で病変を処理せねばならぬ事を経験し,結局昭和34年始めからは広汎な削開を行つて,これにWullstein氏皮弁を用いた鼓室形成を規範的な手術として行う様になつた。しかしその間,必ずしも全例が広汎な蜂案の徹底的な削開を必要とする程の高度病変を有するものでない事,WullsteinのControl holeを拡大した削開孔を作る事によって処理出来るAttik病変のある事,Attik,Aditus,Antrumに粘膜腫脹が高度でも,その他の蜂窠が必ずしも徹底的削開を必要とする病変を伴つているとは限らない症例の多い事,時にはControl holesから観察して略正常な粘膜であるために全く之を削開する必要のない症例も多い事等を経験して,すべての場合に全削開を行う事に対する疑問を持ちつづけていた。又この時期に全削開を行い外耳道後壁を削除する結果生ずる耳後創腔の取扱いに大変な苦労をする事が屡々で,この創腔の意義について疑問を持つと共に,耳後創腔の処理の問題は従来の根治手術に於ける以上に鼓室形成術に於ては重要な問題であると考えさせられたのである。勿論,この問題は周知の如く決して今に始まつた事ではない。即ち根治手術が始められた時からの宿命的なものとして大きな注目を惹かなかつたものであるが鼓室形成術が行われる様になつてからは,その治癒如何が形成術の結果にも影響するため注意が向けられて来た問題である。従つて之を解決するには鼓室形成術という新しい観点に立つての解決が必要であると考えたのである。この耳後腔に対してGuilford3)の種々の試み,Rambo4)のMu—sculoplasty,及びMyers&Schlosser5)のan—terior-pesterior techniqueや後藤(敏)9)教授の方法等が当時既に発表されていたが,私は之等の方法特に後者の報告に刺激されて私の"meato—plastic method"7)の構想をねつたのであつた。
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