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高橋氏鼻内整形手術
高橋 研三
1
,
西端
1高橋耳鼻咽喉科病院
pp.5-22
発行日 1960年1月20日
Published Date 1960/1/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1492202371
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I.序言
私は1908年(明治41年)から5年間ヨーロッパに留学して,当時のあらゆる耳鼻咽喉科の世界的大家を悉く訪れて研究した。然るに意外にも世界的に有名な大家の特技と称せられる耳の手術も,鼻の手術もその成績は頗る不満足のものであつた。鼻中隔矯正手術の如きも彼等は拙劣で,難しい症例は私がやることになり,そのためDr. Septumと云うあだ名を貰うような始末であつた。私はその後アメリカに渡り耳と鼻の解剖を徹底的に研究した。かくして内心失望して帰国の途についたのである。
そして1916年(大正5年)ドイツのFolia Otolaryngologicaに鼻腔内呼吸気流の経路と云う論文を発表した。それは後記してあるように吸気ではPaulsen,Proetzのそれと同じであるが,呼気に於ては全く異つている。彼等は呼気が吸気の経路を逆に通るとしているが,私のは主として鼻腔下部殊に下鼻道を通るとした。この相違の起る所以は生理的正常鼻の定義の違いと鼻咽腔天蓋の弩窿を考慮に入れると入れないとにある。世界の鼻科学は併し彼等の説を正しいとして採用している。このため従来の鼻科学はこの誤つた呼吸経路の重い鉄鎖にガンジガラメになつて混乱したのである。
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