- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
扁桃腺の手術を完全に行うには先ず第一に其の腺の解剖と組織及生理と機能について最新の醫學的知識がいる。次に熟練した技術的手腕が必要た。其第一のことは日本耳鼻咽喉科全書の中で猿渡博士が文献を擧げて詳しく述べて居る。又獨文では「カアツ」のハントプツフ扁桃腺外科の部にヂヨセフ,ブンムバア,が英文ではパービンソンのトンシリーがあり,其他1951年版耳鼻咽喉科イヤーブツク等を見ることに依て大體世界の此の方面の趨勢を察知することが出來る。尚本特集號に於ても他の適任者から此の方面の記述もあるたらう因て第二の技術的方面への參考にもと既往45年の臨床經驗を記憶のままに叙列し,之れに最近の状況を加味して自家臨床と云うことにしよう。
明治40年頃までは扁桃腺を切ると云うことは普通一般に輪状の扁桃腺刀で肥大突出した部分を切斷除去することを意味したものでした。丁度其頃米國では,扁摘と稱して此の器械を用い此樣な方法で扁桃腺を取つて居ると東京の耳鼻科學會で高橋研三氏の供覧があつた。歐洲でも1911年にブリユーニンク其他が彼地學會にレクトミー用シリンゲーなど提出供覽して居た記事がある。尤も當時紹介された方法は,今日米國式とでも解すべき例の全麻,懸垂法では無く局麻,座位の方法であつた樣でした。明治41年に筆者が開業匇々扁摘第1號を21歳の男子(ペリトン2週日後)に文献を當てに指導者も無く行つた,手際の程は御推量にまかせるとして手術後數時間實質性出血があり,ガーゼ指頭壓迫によつて止血せしめた。當時アドレナリンは第1回日本醫學會席上で高峰博士により發表され,我科でも岡田先生によつて紹介された直後であつて日常には未だ使用されて居なかつた。局麻もコカインを使用したと思う。其の當時は扁桃腺切除の際でも往々後出血を經驗した時代,扁摘にあつても少々位の後血出は付きものの樣にも考えられていた。其頃から2,3年經た後では最早扁桃腺の手術と云うと摘出することが普通となり兩側は勿論更にアデノイトまでも1回に除去することが常織とまでなつた。丁度其頃から學會で扁手術後の不幸例が報告せられ,又巷間でも扁手術の際注射で又出血で小供を失くしたなその事を聞くこともある樣になり,本手術の慎重性に警戒を與える樣になつた。此間に處して筆者も數多へ施術者の中に若干數の後出血例を持ちましたが,其都度適當の處置により止血が出來未だ1例の不幸者をも出さなかつたことは眞に幸幅と云うべきです。其頃順天堂病院に千葉博士の手術見學,ペルリンではハルレーのクリニツクを參觀して漸次自法を改善簡易化に勉めたものでした。最近では扁桃腺手術には一滴の出血にでも細心の關心を持ち感染に對する注意は勿論,適應症の選擇更に遠隔成績に迄も格段の注意を拂う樣になつた。一般も漸次其の傾向をだとり米國にあつても扁は全部取るべしより,病的扁のみ除去し尚且つ5歳以下は其れさいも制限され,夏期にあつては例の小兒麻痺との關係上之れを見合せると云う樣に随分と大きな變りかたになつた。我國でも數日前東大耳鼻科醫局で扁桃腺問題を取り擧げ一夕語り合うと云う工合に,從來よりは變りた觀點から扁桃腺を見直す樣になつた。
Copyright © 1953, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.