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鼻截と耳截
小林
pp.453
発行日 1953年9月20日
Published Date 1953/9/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1492200966
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室町時代から桃山時代にかけて,犯人や敵兵の鼻を截り取る風習は,絶えず行われた。武田信玄は赤口關左衞門と寺川四郞右衞門との鬪爭したのに對して,兩人の鼻を截り,織田信長は長島城を攻めた時,大鳥居の敵疊を陷れて,斬段した二千餘人の敵兵の鼻を截り取つて,城中に送り,齋藤道三はその臣下に殺された上に,鼻をも截り取られた。
豊臣秀吉の朝鮮征伐の際には,韓兵の鼻を截り取り,首の代りに之れを本營に送つた。朝鮮の學者李史の著書「芝峰類説」にも,この事を記して「平秀吉,令諸倭割鼻以代首級。故倭率遇我國人輙殺而割鼻,泗鹽送干秀吉」とある。
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