- 有料閲覧
- 文献概要
1952. X. 13日の早朝,プレヂデント・オブ・ウィルソン号で来日されたサイデル博士は単身軽装未だ見ぬ横浜の土を踏んだのであつた。「全くだしぬけなんだよ」と小野譲君は眼鏡の奥で物を言た。だが日米親善交歓が耳鼻咽喉科,気管食道科学会を通じて行われた事に依て吾々の喜びは大きかつた。「でもね,世界何処へでも保養旅行に出掛けられるのに欧州へ行かずに日本を選んだ事に対して感激してるんだよ…」之は後で小野君と話した言葉であつた。東京耳鼻咽喉科地方会員800名の方達と鏡友会員の特別な友宜と国際的感情の盛り上りとが無かつたなら恐らくこんなフエアー・プレイをする事は出来なかつただろう。同氏は今年70歳になられ先年迄は米国合衆国耳鼻咽喉科学会長の要職に就いてをられたが之を後進に譲て,現在Archiv of Otolaryngologyの編輯委員で米国医師会で重要な要職に在る。大体の事は数日前原博士から手紙で連絡されていた。現在カンサス,ウイチタに居住されている。誕生後間も無い気,食学会の総会が横浜医大で開催されるのを目指して予ての約束通りロサンゼルスの原教授が私費を投じて2巻の学術映画(ホリンヂヤーとハウスのもの)を空輸する手配をしていた丁度その時急に日本旅行を目論まれたサイデル博士に之を托すに到たのであつた。欧州旅行より日本旅行を,欧州学会より日本の学会を選ばれた心持ちに日本人として心の温まるのを覚えたのは私一人ではあるまい。多忙な滞在の日程中を日本語で語る各種の集りや学会に出席され誠実な意見と希望とを必ず寄せてくれた事は返す返す感謝の極みであつた。長身痩躯の温容な紳士,ジツト物を考えてはいるが楽し相な旅行者,若い人とも能く語りよく笑つて時々鋭い医業人本来の軽妙な皮肉を言われた。中でも私として嬉しかつた事は気管食道科学会総会第1日の宿題報告で橋本泰彦君の1時間20分に亘る「気管,気管支の生理」に関して熱心に耳を傾けて映画を見て分らない日本語の演説を我慢して聞いてくれた事であつた。「1年間で之だけよくやれた」と仮令御世辞であるにせよ激励してくれた事であつた。
個人的に受けたサイデル氏の印象は東洋の文化に一つの憧憬を持ち東洋の風格を老いの身で理解しようと力めていられるのが感ぜられた。大観と玉堂の水彩画を前にして東洋風な物の観方を深く感じた風であつた。日本を去る最後のパーティーの席上述べられた謝辞には日米親善のためにも又立派に生長した日本の耳鼻咽喉科学会の隆盛を祝福して訪日の自分の目的は果されたと語り言外に再度の訪日は至難であろうからどうぞ日本の会員の皆樣によろしくとの事であつた。此の短いメッセーヂを綴る私にも熱い別離の回想が湧き上。
Copyright © 1953, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.