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思いつくまま(48)
安藤 弘
1
ko Ando
1
1東邦大学医学部泌尿器科学教室
pp.235
発行日 1966年2月1日
Published Date 1966/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1491204304
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- 文献概要
東邦大学に於ける皮膚科,泌尿器科教室の開設は,昭和10年4月,石津俊現皮膚科教授に依るものであるが,大学の古い記録(文部省に提出した教員に関する調査報告書控)に依れば,石津教授以前に,二人の教授の名を発見する事が出来る。初代としてはかの有名な「標準医語辞典」の編者,賀川哲夫氏(大正15年4月より昭和5年12月迄)で独逸語を教へるかたわら,皮膚科泌尿器科も担当されて居たらしい。氏は岡山医専を卒業後,土肥慶蔵教授の門に入り,皮膚科泌尿器科を専攻されて居た。
次代の教授としては,宮村一利教授(大正3年東大卒)の名が見られる。先生は昭和3年5月付で就任され,昭和10年3月迄在任され,横浜市立病院の皮膚科泌尿器科部長も兼任されて居たとの事である。石津教授のお話によれば,賀川・宮村両教授は,講義こそ担当されては居たが,独立した教室があったわけでもなく,外科の一分野として間借りして居たのではあるまいかと云われる。之は大正未期から昭和初頭に於ける皮膚科,泌尿器科学の歩みを物語るものであり,又当時の私学に於ける医学教育の実情を示すものであろう。
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