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思いつくまま(45)
加藤 篤二
1
TOKUJI KATO
1
1広島大学医学部泌尿器科
pp.846
発行日 1965年8月1日
Published Date 1965/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1491204162
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筆者が赴任した昭和31年4月この大学は未だ疎開先きの呉市郊外にあつた。菜の花が咲きそろい雲雀の囀ずる静かで長閑な田園風景のある一方,隣りには騒然たる豪州軍キャンプがあり異国気分のただよう奇妙な雰囲気でもあつた。それから一年後大学が広島市内に移転する事となつたが考えてみれば原爆によつて創立後間もなく潰滅した大学がその後転々と疎開して戦後約10年振りで元に帰り咲いた訳である。あわただしい裡にも漸く落着きを取り戻し,大学の復興が相次いで行われ陣容も遂次完備して広島市の復興と共に歩調を併せて発展し,今日早くも走馬燈の如く9年の月日が過ぎ去つた。
教室の内容を申しあげると多年の懸案であつた皮膚科の分離がこの1月に行われ,漸く一人立ちの教室になつたが旧制の大学からみればこの事は一世紀前の夢の様な不思議かも知れないが何んとも致し方がない。現在教室員は講師1,助手7,大学院学生4,の小陣容であるが学外の官公私立病院に勤務する教室出身者は約17名を数える。
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