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思いつくまま(40)
清水 圭三
1
1名古屋大学泌尿器科
pp.1049
発行日 1964年10月1日
Published Date 1964/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1491203912
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思い出の記を書く年でもないと思つていたら,来年はもう還暦だから昔なら相当のおじいさんの筈である。昭和6年に入局した頃は田村春吉教授が皮膚科泌尿器科部長と理学療法科を兼任していた。随分白髪の年寄の先生だと思つたが,然しその時未だ50歳であつたことを思えば現在の自分の方がよつぽど老人であることに驚ろく,若い医局の人達が見たらたよりないじいさんに見えるにちがいない。
その頃の大学は愛知病院と呼ばれ手術場の下駄には皮梅科花柳病科と言う焼印が押してあり,手術と言えばBuboの剔出で毎日のようにやつたことを記憶している。時にはfemoralisを傷つけて胆を冷したことも思い出される。腎臓結核の手術も多くは外科で行われ,我々の科に廻つて来るものは少なかつた。今日では前立腺剔出,膀胱全剔とか盛に行われるようになつたことは戦後のことで夢のような思いがする。
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