--------------------
思いつくまま(29)
野北 通夫
pp.797
発行日 1963年8月1日
Published Date 1963/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1491203582
- 有料閲覧
- 文献概要
私が教授になつたと聞いて私の旧い仲間の中にはびつくりした者もあつた様だが,それ程私は世に云う秀才でもなく,健康にも恵まれておらず,云うならば全くその器でもない。幾度かつまづき,たおれながらどうやらここまでたどりついたと云つた思いで,省みれば誠に苦しい長い道のりであつたが,幸にして私は北村包彦先生と北村精一先生の御二人に師事することが出来た。全く異つたタイプのこの御二人から私は学問の面は勿論,人間的にも多くのことを教えられたが,私の今日あるは全く御二人の師恩によると云う以外ない。今この御二人の「大物」のあとを受け教室を主宰する身になつてみると全く自らの小ささにがつかりする。御二人の学問の深さは望むべくもないまでもせめて精一先生のあの超人的エネルギーの半分でも与えられたなら,千里とまではゆかずとも駑馬は駑馬なりに十里でも二十里でも全力を傾けて走り続けようものをと,折にふれ思うはそのことのみである。
長崎は日本に於ける西洋医学発祥の地であるが,そのかみ諸藩の俊才達が笈を負うてシーボルトの門をたたきポンペの教えを乞うた「つわものどもの夢の跡」も今は草に被われ,荒れるにまかせ,この地を訪れる旅人達もオランダ坂やグラバ邸の名は口にしても鳴滝塾の名を知る人はない。
Copyright © 1963, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.