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思いつくまま(25)
近藤 厚
Atsushi KONDO
pp.317
発行日 1963年3月1日
Published Date 1963/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1491203479
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長崎へ来て2度目の正月を迎える。教室の整備もまだその緒についたばかりで,昨年は西日本連合地方会の特別講演や何かとあわただしい一年であった。宮崎重助教授と新入局員を迎えて,教室もやつと10人の世帯となつた。今年からは,いよいよ腰をすえて,本格的な仕事にかからねばならないと,ひそかに覚悟を新たにしている。
長崎は,かつては蘭学のメッカであつた。諸国の英俊が,学を求めてきそつて長崎へ集まつたものである。今では,中心がお江戸に移つて,長崎はとり残された,古い貿易の街として,観光客を楽しませている。爆で見る影もなく,打ちひしがれた大学を今日迄に育てあげられた北村精一先生が,学長の任期満了と共に退官され,静岡国立病院長として赴任される為に,近く長年住みなれた長崎を去られる事になつた。この17年間に先生は,大学の復興に心血をそそがれると共に,アレルギー経皮吸収,酵素学的研究或は,フィラリヤ等と広い分野にわたつて,立派な業績を打ち建てられた。北村先生からこの間の事情を親しく伺う事が出来た事は,私にとつては,得難い貴重な教訓となった。私は教室の歩んで来た歴史の中に,この土地の人々に学問を愛する情熱が連綿として原受け継がれている事を感じた。
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