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思いつくまま(12)
川井 博
Hiroshi KAWAI
pp.734
発行日 1961年8月1日
Published Date 1961/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1491203118
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- 文献概要
私は子供の頃からスポーツが好きで,小学生の頃は野球だの陸上競技の真似事みたいなことをよくやつた。子供の頃は人一倍痩せていて体も小さく野球のバットに振り廻されてしまう方で満足なポジションは与えられなかつたが,不平も言わず仲間入りした事を記憶している。その当時に覚えた野球技術の自信が戦後小生が泌尿器科を学ぶ縁となつた事は全く不思議である。
昭和20年3月太平洋戦争の敗色が癒々濃くなつた頃に,小生は台南航空隊から高雄海軍病院勤務を命ぜられて赴任しました。直ちに外科勤務と云う事で皮膚科,泌尿器科,眼科,耳鼻科等の診療に当らせられた。泌尿器科患者としては性病が大部分で淋疾,軟性・硬性・混合下府,第四性病等多彩で,色々な症例を診る機会に恵まれたが,治療剤としてはサルバルサン,1基のスルファミンのみで,殊に淋疾の洗滌で100名以上の患者を一人でさばくのは余り不平を言わない小生も些かうんざりした事を思い出します。又,膀胱鏡等も立派なセット入りの器械が幾組もありながら,その使用法が判らずに宝の持ち腐れ同様で,恐らく結核性膀胱炎と考えられる患者を慢性膀胱炎の診断で一基のスルファミン投与のみで空しく治療していた事を想い出し汗顔の極みです。斯くして終戦の翌年の6月に帰国したわけですが,何とか医局生活で一人前の知識を得たいと考えて母校を訪ねて見ました。
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