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北独へ行つたらシュトルムの小説の舞台をみてきたらという西丸先生の御提案をよいことにして7月26日から8月1日まで1週間北独からデンマークのJutlandの半島を1周してまいりました。テオドル・シュトルムの町Husumは初めからの予定でしたが,ほかはいきあたりばつたりのje nach dem Geldで,泊つたり,通りすごしたりというような,日本にいたときと同じような気のむくままの旅でございました。ハンブルグでは有名なSt. Pauliも,女の目にはおもしろい所がみつからないのか,こういう種類の所は昼間の太陽の下ではいつでもこんなふうにしかみえないものか,なんともうらぶれた感じで,戦災のあとはもちろん取りかたづけられてはいるものの,建物に統一がなく,戦争の惨害を感じさせられました。帰国が近づき,気がおちつかなくなつたせいか,あるいはそういう倦怠期にはいつたせいか,大学病院を目的もなく見学するのもばかばかしくなり,みてまいりませんでした。リュベックもキールも,ことに後者は戦前の建物は非常に少なく,見物価値はまつたくない町でしたが,リュベックではトーマス・マンが少年時代をすごしたBuddenbrookhausがFassadeだけ昔の面影をとどめ,その学んだGymnasiumはがつちりした煉瓦の建物でいずれもカラーフィルムによくおさまりましたので,いずれお目にかけられます。デンマークではJutland半島から汽車に乗つたまま行ける隣りの島Fünenにアンデルセンの生家があるそうですが,旅行案内を読むと,今生家として指定されている家は本物かどうかたしかでないとありましたし,わざわざ横道へそれるのもめんどうでしたので,みてまいりませんでした。汽車はときどきOstseeに沿つて走りましたが,のちにみたNordseeとはたしかに趣きが違い,静かに深い青をたたえて,湖水のようでした。美しいことは美しいのですが,Muller-SuurのいうようにNordseeのほうがたくましくdynamischで,私にはNordseeのほうがはるかに気にいりました。半島は北端に近いAlborgまで行き,ここから西におれて西海岸にまわり,ふたたび南下し,途中2泊,2〜3の町を見物いたしましたけれど,樹木もほとんど生えないようなWiese, Heideばかりで,町といつてもまことに貧弱でした。例の私流の勝手な臆測をたくましくいたしますと,どうもこんな所を,どこの国も,もらつても荷やつかいになるばかりなので,かえつて独立国として存在しているのではあるまいかと思えました。ヨーロッパ人のphysiognomieに多少なれた目でみますと,たしかにこの国の人はいかにもお百姓さんぜんとしており,北方人種のはずなのに体もずんぐりと貧弱で,やぼくさいと思つていたドイツ人が急に立派にみえてまいりました。もつとも同じデンマークとはいつても,コペンハーゲンに行けばきつと全然違うのだろうと思いますけれど。日本でも人様を大ぎようにもてなすのはいなか者のやることですが,デンマークでは汽車の中でお菓子を食べるときは同じボックスの中にいる者に,外人の私にも,必ず一応はすすめるという図がみられ,こんなことはヨーロッパにきて初めての経験で,ひどくheimischに感じられました。ふたたびドイツ領に入つてから,このあたりは有名な海水浴場なのでどんなふうか一見におよぼうとわざわざ横道にそれてみましたがWesterlandという海に近い駅は江の島さながらで,おしあいへしあいで,公衆道徳は地をはらい,ここからまた,混んだバスでもうひと乗りしないと海に行けないらしいので,おそれをなして,いまおりた汽車にまたとび乗り,ひつかえして,結局裸像の群はみる機会をえまぜんでした。もつとも横道にそれたのにはほかに目的がありました。というのはこの分岐点の近くにドイツ表現派の代表エミール・ノルデが生前住み,いまそこは彼の作品だけの美術館になつているというのを聞いたので,それをみるのが目的でしたが,そのへんにうろうろしている海水浴客はもちろんのこと,駅員も,土地の人らしいのをつかまえて聞いても,どこにあるのか,そのあたりを通るはずのバスがどれなのか,知つている者がいないので,これも残念ながらみることができませんでした。
Husumに着いたのは土曜の午後で,翌日の昼まで滞在しましたが,こういう外国は不便で,私がHusumにいた時間はReiseburoも店もすつかり戸をとじ,町の地図を買うことも,記念品を買うこともできませんでした。土曜の夕方どしやぶりの雨のあい間をみて,やむなく宿のボーイに聞いた知識をたよりに,Stormの生家を書さがし,彼の遺品や写真があるというMuseumをさがしました。日曜日には,朝からぬか雨でしたが,とにかく教えられた港のほうに散歩しました。ボーイの教えてくれただけではたよりないので,日曜の朝の散歩をしているとおぼしい中年の,少しばかりインテリらしいのをつかまえて聞きましたら,これが図に当たり,1時間ばかり,案内,説明をしてくれました。もちろんいまは舗装され,かつてとは趣きが違つているのだそうですが,とにかく昔Stormが散歩したという港から北海に通ずる道を歩き,古い堤防とその外側にもう1つ作つた新しい堤防,その間にひろがるKog,そこに点在する,主として牛,所々に羊などをうすい霧をとおしてみてまいりました。このあたりは雨が降らなければほとんどつねに風なのだそうでして,いまでも外側の新しい堤防は嵐のたびに崩れ,そのときは北海の荒波はすさまじいものだそうでございます。私たちの歩きました散歩道の先端は今流の海水浴場に通じていて,そこには砂浜はなく,すぐ海におちこんでいるそうでございますが,町からすでに1時間も歩きましたのに,まだゆうに30分はあると聞いて,はるかに灰色にけむる北海を遠望しただけでひきかえしてしまいました。Husumでの雨はさみしい,うらぶれた光景にかえつて興をそえてくれましたが,その後ずつと雨にたたられたのは,いささか閉口いたしました。ブレーメンでは華麗なRathausやおもしろいBottcher strasseが雨で写真にならず,ハノーヴァーでは見物の意欲がそがれてしまいました。それでもせつかくきた思い出にと,ゲーテのウエルテルの悲しみのロッテとして書かれているSophie Kestnerの墓をさがしました。こんどの旅は先生のおすすめのおかげで,私にとつてはがらに合わない文学紀行となつてしまいました。
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