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発作性血色素尿症の2例
淸水 潤一
1
,
堀金 登世
1
1神戸医科大学皮膚科泌尿器科教室
pp.615-618
発行日 1956年9月1日
Published Date 1956/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1491201762
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本症は古く1794年Charles Stewartの記載に始まり,Poffer(1868)により発作性血色素尿症と命名され,次いで1879年にLichtheimは此れを寒冷血色素尿症(Kältehaemoglobinurie)と名付け独立疾患として報告し,その後内外多数の学者により報告が行われてきた。とくにEhrlich(1899)は生体内に於て,Donath u. Landsteiner(1904)は試験管内に於て,本症患者の血清中に自家溶血素(Autohaemolysin)の存在する事実を証明して以来,本症の発作ば該物質に基因する事が明らかとなり漸く本症の本態が明らかとなつた。自家溶血素の成因に関しては,Langstein(1905)が本症患者の血液ワ氏反応の陽性な事を認めて以来,梅毒をその原因と做す学者が多くなり,一般に此の説が支持せられる様になつたが,一方伊藤等は血清ワ氏反応の反応体と自家溶血素とば全く別種のものとし,又ワ氏反応陰性の本症患者の報告も少くなく,今日尚その本態は充分明らかにされているとは云えない。
我々は最近本症の2例に遭遇し2〜3臨床検査を行うと共に,VC投与及び駆梅療法によりその経過を観察したので,その大要を報告する。
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