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口圍放射状瘢痕に就て
北村 包彦
1
,
山田 櫻子
1
1東京大學醫學部皮膚科教室
pp.157-159
発行日 1952年4月1日
Published Date 1952/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1491200700
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本症は昭和14年(1939)著者1人北村が一ノ瀬とともに,當時長崎の教室で偶々見出して1例を,Nobl(1933)のdicht gestellte lineareperiorale Narbenzüge,ラテン學名ではCicatrices radiales circumorales rachiticaeと同一症としてこれを報告して以來,小島―戸澤(1例,昭16,1941),川久保(3例,昭17,1942),成川(1例,昭18,1943)の追加あり,臨床上先天梅毒のParrot凹溝と別個の現象として承認されるに至つた。
その後,海外ではBerggreen(1940)が,生後6週顔面,腹部,腕關節部を侵した不明皮疹(新産兒天疱瘡?)に續き,口團から廣く兩頬,下顎に亘つて放線状,網状,の萎縮性凹溝を生じ,これとともに腹部,腕關節部にも境界鮮明に,輕く色素沈着し,輕く萎縮した瘢痕を生ぜる現在22歳の男子をungewöhnliche Parrot'sche Furcheとして報告している。又Strraosch-Nelson(1941)は梅毒性の3例とともに非梅毒性1例のPostrhagadic Scarsを記述,梅毒性のものは唇紅が褪色し,皮膚粘膜境界線が所々不明となる,又凹溝は唇紅内にも存在するのに封し,非梅毒性のものではこれ等のことなく,又梅毒性のものでは凹溝は口角から上,外方へ向うのに非梅毒性のものでは下,外方へ向うとしている。
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