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Incontinentia pigmenti發症病理考察
伊藤 實
1
1東北大學
pp.163-165
発行日 1951年4月1日
Published Date 1951/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1491200491
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1925年Blochは"未だ記載せられざる先天性色素異常"を有する1幼女例をIncontinentia. pigmentiと稱えて供覽し,後にSulzbergerが是を詳録した。同26年はNaegeli家族的に發現した同樣の病變をchromatophoren-naevusとして供覽し,またSiemensはSulzbergerによつて同定された1例をMelanosis cerii degene-rativaと命名して29年に發表した。其後Bar-dachの双生兒に見た列序性母斑の報告を繞つて,SiemensとMeirowsky-Levenとの間に異同の論駁が繰返され斯界の注目を蒐めたが,素より稀有症に屬し報告は漸く20例に垂んとする程度である。我國では1938年北村(包)教授が第1例を報告し,續いて橫山教授が皮膚科東京地方會第250回例會に1例を報告され,其際余も3例の經驗を追加し,他の先天性色素異常症と共に日本臨床4卷11號に紹介した。
自驗第1,第2例は曩に金澤醫大で觀察せるものであるが,組織學的檢索を缺いたので,當時毛流樣に列序せる色素性母斑と擬診して齋藤博士に報告せしめた症例であり,その後第3例に於て組織學的檢査を行うを得て,前2例をIncontinen-tia pigmentiに同定したものである。
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