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寄生性色素脱失症に就て
高橋 吉定
1
1東京大學醫學部附屬醫院分院皮膚科
pp.234-237
発行日 1950年6月1日
Published Date 1950/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1491200356
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寄生性色素脱失症という言葉は,これをわたくしが新たにわが國皮膚科學の語彙に加えようとするのではない.既に故太田教授1)は,顔面粃糠状白癬と題する記述の中にそれを使われ,"本疾患(顔面粃糠状白癬)にあつては夏期に至ると周圍の皮膚が日に燒けて着色し,その色素脱失部が殊に目立つて見えるのである.即ち寄生性色素脱失症の状態が顯著になるのである."と書かれている.更にこの言葉の出所に遡ると,それはJean-selme2)がパリに於て熱帯皮膚病學の講義を行つた際に用いた事に始まる.即ち熱帯地方には顔面に特異の白斑を發生する一眞菌病が存在し,氏はこれを一獨立症としてAchromie parasitaireと稱したのである(1904年).しかるにGougerot3)は,Jeanselmeのいう寄生性色素脱失症は白斑性癜風にほかならないと主張し,それの獨立症であることを否認した.更に氏は癜風の白斑型を寄生性色素脱失症と呼ぶに止まらず,猶その意味を擴大して白癬は勿論一般眞菌病の呈する白斑症状をもこの名を以て稱するに至つた.その後幾多の學者がこの問題に關與したが,結局Jeanselmb或はGougerotの見解を夫々に支持する立場を取り,ここに寄生性色素脱失症は,それが獨立症か或は癜風かの問題を巡つて,その概念に著しい不統一を招來するごとになつた.
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