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仙台生まれで東北育ちの私が,初めて富山の地へ足を踏み入れたのは20年前(1979年)のことであった.富山—仙台間は約500キロである.当時は日本海側に高速道路はなく,前日夕方に仙台を出発,山形,新潟の両県をほぼ夜通し走り続け,ようやく新潟・富山県境の難所「親知らず」に到着した時はすでに朝9時を過ぎていた.トンネルを抜けた瞬間,疲れた私の目に飛び込んできたのが,右に波静かな日本海,左に山頂がうっすらと雪化粧した北アルプス立山連峰,そしてその間に広がる,稲穂が頭を垂れた富山平野の田園風景であった.その素晴しさに圧倒され,新しい土地への気持ちの高ぶりが一段と増したことを今でも鮮明に思い出す.以来,富山は私の第二の故郷となったわけであるが,生粋の東北人が富山に感じた当初の戸惑いは決して小さいものではなかった.気候風土の違いは当然として,住む人の風貌,言葉,ものの考え方など,わずか500キロ離れただけなのに,同じ日本人が何故にここまで違うのかというのが実感であった.たとえば,風貌は東北の丸顔系に比して富山は面長の人が多く,言葉は関西系でかなり乱暴に聞こえた.それまで仙台を起点に東北,北海道,関東の各地で生活・仕事の経験があったが,このような違和感は東日本の各地では一度も感じたことのないものであった.生活して初めて知る日本の広さであった.
脳神経外科の仕事が始まり,この地域的特徴や東と西の違いを,改めて実感する事実に直面することとなった.頸動脈閉塞性病変との出会いである.脳梗塞の患者さんの血管撮影を仙台と同じスタンスで行っていると,かなりの頻度で頸動脈に狭窄病変を認め,特に東北地方では年1例の経験も稀であった高度の狭窄病変が,初年度のみで10例を超えたのである.1980年代前半までの日本の脳卒中地図では,死亡率は圧倒的に東北,北関東など東日本に高く,その原因は脳出血の多さにあった.西に行くほど死亡率は低く,疾患は脳梗塞が多い傾向を反映していた.学会発表でも,何となく東の施設からは脳出血の演題が多く,西からはバイパスなど梗塞関係の演題が多いとの印象もあった.頸動脈病変については,それ以前にカナダ,米国で多くの内膜切除手術を見る機会があり,その際は欧米人と日本人では人種,食生活も違うのだから当然のことと受け止め,正直何の疑問も感じていなかった.しかし富山で感じることとなった東と西の違い,あるいは富山の特異性については,われわれ同じ日本人に関するものであり,まさに強烈な疑問の対象であった.以来,頸動脈内膜切除術には積極的に取り組んできたが,その発生背景,特異性等については答えを得られぬまま過ごしている.富山へ来ての幸せは,鰤,蟹,甘海老,イカなどの新鮮で種類も豊富な富山湾の魚貝類を季節を問わず味わえることである.それ以上に素晴しいもので,他の地では口にできぬのが,立山より流れ出る「水」である.このあたりがひょっとして頸動脈病変が富山に多い原因ではないか,などと考えてもいるのだが…….
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