扉
赤ひげ専門医
坪川 孝志
1
1日本大学脳神経外科
pp.385-386
発行日 1995年5月10日
Published Date 1995/5/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436901015
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教室を訪れる外国の脳神経外科医達には,教室員ならびに私と一緒に,一日を回診,手術で過ごし,最後に実験室を見た後に,夕方議義をしていただくことになっている.教室員は病棟・外来に15名,実験室には出向中の教室員が4-5名と,ほぼ20名の教室員が50床を超える病棟を中心に働いていることになる.教室における私の役割は脳神経外科診療の責任者であるとともに,教師であり,脳神経外科の診療・研究を通して教室で学ぶ若い医師の養成が中心課題である.教室の全員が私を超える脳神経外科医になるように教え,研究させ,励ますことが私の義務である.こうした教室の日常的な1日を,外国の脳神経外科専門医がみると,日本の脳神経外科専門医は今後とも急増するに違いないと感じるらしく,必ずといっていいくらいに,日本の脳神経外科専門医の数を質問する.外国の脳神経外科専門医は利益を守り,配分しあう職人組合的な存在であることを知っている私はここで判で押したように,胸をはって,まもなく4,000名に達し,それは人口3万人あたり1名の割合になると答えることにしている.
外国の専門医は,自分達の国のことと考え合わせてそれは余りに多すぎるなどと直接的な表現はさけているものの,私に対して,何故多くの時間を専門医養成のために費やすのかと質問してくる.
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