扉
脳の水
山田 晋也
1
1東芝林間病院
pp.273-274
発行日 2018年4月10日
Published Date 2018/4/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436203717
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もう35年以上も前の話である.医学部を卒業して研修医となった私は,新設医大の3期生ということもあって,前例となる先輩や自分の行き先に見通しがなく,何もかも手探りのスタートであった.入局初日の救急外来での頭皮の傷の縫合は,見様見真似もなく,自己流で行った(傷はうまく治ったので許してください).1,200床を超える大学病院で,当時の脳神経外科の研修医は2,3名であった.この人数で1次救急から3次救急までの急患対応,外来診療,病棟管理,ICU管理,手術,挙げ句の果ては,夜には血液検査伝票をカルテに糊で貼り付けることも研修医の仕事とされていた.今ならすぐさまSNSで仕事環境が拡散され社会問題となろうが,当時はそんな手段もなく,周りがどんなか知らないと結構なんとかなっていた.
その中でも,特に重要な仕事相手は,術後の脳の腫れの管理であった.当時は,術後に脳が致命的に腫れ,命を落とす患者さんが少なくなかった.脳ヘルニアを起こさないために,脳の容積のコントロール,すなわち脳の水のコントロールをするために,膠質浸透圧液,当時は,はやりのステロイド,脱水を試みたりして総攻撃である.外減圧,浮腫がひどい時には内減圧も行う.脳腫脹が数週間で引いていくことは知っていたので,その間,脳全体を開頭して硬膜を開けたまま水槽のようなものに入れておけないだろうかとか,血管からの薬剤でもコントロールできないなら,脳表からシッカロールで脳の水分を吸い出せないだろうかとか,誰も口をきいてくれなくなりそうだったので人には言えなかったが,結構真剣に考えていた.
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