先達余聞
Otfrid Foerster
安田 常男
1
1安田近藤病院
キーワード:
Foerster
,
Neurosurgery
,
Rhizotomy
Keyword:
Foerster
,
Neurosurgery
,
Rhizotomy
pp.982-985
発行日 1981年7月10日
Published Date 1981/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436201376
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Karl Otfrid Foersterは1873年,旧ドイツ国シレジア州ブレスラウ市に教師の子として生まれた.私が彼に師事した1933年頁のブレスラウ市は人口90余万人の大工業都市となり,街を東西に横切ってオーデル河が流れ,北部にはブレスラウ大学,南部にはWenzel-Hanke病院が在った.彼は生来父の才能を承けて外国語,ことにラテン語に秀で,弁論は天才的であった.1892年から1896年の間,医学生としてブレスラウ,フライブルグ,キールの各大学に学び,ブレスラウで国家試験に及第した.助手時代の彼はCarl WernickeがいたLeubusの療養所で実習し,そのすすめで約2カ年をフランス,スイスですごした,冬にはパリにてDejerine, Pierre-MarieやBabinskiの講義を聞き,夏にはスイスのFrenkel-Heidenで神経病患者の訓練療法を学んだ.その後ブレスラウ大学で彼を教えた外科のv. Mikuliczが彼の手先の器用さを見て外科医となるようすすめたが,彼の分析的な気性がこれを肯じなかった.この頃の彼はいつも明朗快活で音楽観劇など社交的であったという.再び郷里の両親の許に帰ると,当時16歳の美少女,のちのMartha夫人と親しくテニスやスケートをともにした.
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