連載 人間はいつから病気になったのか—こころとからだの思想史[10]【最終回】
痛みと生命
橋本 一径
1
1早稲田大学文学学術院
pp.563-566
発行日 2018年10月15日
Published Date 2018/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1430200359
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生まれずに生きる
心臓などの臓器の移植を待ち望む患者の数が増え続ける一方で、臓器の提供数が伸び悩んでいるのは、世界的な傾向である。大半の移植が脳死患者から提供される臓器を当てにしている限り、この実践から、「他人の死を待ち望む」という側面を一掃するのは困難であろう。臓器移植は他人の死と引き換えであるからこそ、一部からはカニバリズムや「屍肉食い」にも比されて、忌避されてきたのである。ブタなどの体内で作られた臓器を移植する「異種移植」、更には臓器だけを試験管内で培養する「器官培養」の技術に期待が寄せられるのもこのためだ。
ブタから摘出した臓器であれば、少なくとも人間の死を引き換えにする必要はないし、試験管で培養された臓器ならば、動物の命を犠牲にしなくても済むだろう。試験管の中で脈打つ心臓は確実に「生きて」いるが、その「生」は特定の個体と結び付いていない。それはちょうど胎内の、個体として生まれる前の胚にも似ているが、しかし胚とは異なり、いくら成長を続けても、それが個体として誕生する日は決して訪れない。決して生まれないが、確実に生きているこの奇妙な存在を、前回のこの連載で私たちは「未生の生」と名付けたのだった。
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