LETTERS
水俣病症状の診断と認定と判決の根底にある実態—神経細胞脱落数から
生田 房弘
1
1元・新潟大学腦研究所 神経病理学教室
pp.938-942
発行日 2018年8月1日
Published Date 2018/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1416201103
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はじめに
あれは,有機水銀中毒症(以下,水俣病)の認定をめぐる最高裁判決で,2013年4月,「感覚障害だけでも水俣病は否定できず,『複数の症状』がなくても認定する余地もある」との判断が示された直後の私的集いであった。ひとりの臨床医が沈痛な,自棄的な面持ちで,「もう,認定は,医師でなく,裁判官にやって貰えばよい!」と呟いた。この臨床医は長年,認定審査委員会の委員も務め,極めて真摯そのものの医師であった。
この陰での小さな呟きは,実は,水俣病だけが持つ,ほかに類例のない特異性ゆえの,実直な医師の苦渋のうめき声でもあったと思う。
なにか疾患が疑われ,医学的診断が求められたとき,医師は十分な証拠のない限り,軽々と診断すべきでないことは,万人に納得され得ることであろう。同時に,医師は病める者をみたら,己の全力を挙げて少しでも救いの手を差し伸べて当然であろう。この両者は,ほかのほぼすべての疾患時には両立する。しかし水俣病の場合だけは,まことに心ならずも,個々の医師自身がこの両者の間で悩み,両立できない場合がままある。
医師であり,神経病理学の道を歩み,1965年以降は水俣病の医学的診断をめぐり悩み続けてきた筆者の立場から,この水俣病の「医学的診断」と「認定」そして「判決」の根底にある特異な実態について考えてみたい。
このことは,水俣病だけでなく,今後,特にアルツハイマー型認知症の実態を考える際にも大きな関連を持ってくると思われるからである。
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