現代神経科学の源流・7
ノーマン・ゲシュヴィンド【前編】
河内 十郎
1
,
酒井 邦嘉
2
1東京大学
2東京大学大学院総合文化研究科相関基礎科学系
pp.1061-1066
発行日 2015年8月1日
Published Date 2015/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1416200257
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Norman Geschwind(1926-1984)。1926年1月8日,ニューヨークに生まれる。1942年,ハーバード・カレッジに入学。当初は数学を志していた。1944年から翌年まで,兵役のため第二次世界大戦に従軍。ドイツやチェコスロバキアの戦場を経験し,また占領軍として日本にも滞在した。ハーバード・カレッジを卒業後,1951年にハーバード・メディカル・スクールへ入学。その後,ロンドンへ留学しクィーン・スクウェアの国立病院で神経学を学び始め,そこでチャールズ・サイモンズから薫陶を受ける。1955年よりボストン市立病院神経科(デレク・デニー-ブラウン主宰)のチーフ・レジデントを務め,1958年よりボストン退役軍人病院神経科のフレッド・カドファゼルの下で学ぶ。1962年には,ボストン退役軍人病院神経科の医長,およびボストン大学神経学講座の准教授となり,1966年には同講座の教授に就任した。この間,イーディス・カプランとともに,ボストン大学失語症研究センターの設立にも貢献している。1969年にハーバード・メディカル・スクールの「ジェームス・ジャクソン・パットナム神経学教授」に就任。生涯にわたり高次脳機能障害,特に言語の神経基盤への興味を持ち続けた。失語症や失読症,てんかんなどの臨床研究を通して,離断症候群の同定(1965年),大脳半球の優位性,大脳の非対称性の解明といった多くの業績を残している。また,人格的にも優れ,臨床家として教育者として多くの尊敬を集めた。1984年11月4日,心臓発作により58歳で死去。
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