Japanese
English
- 有料閲覧
- Abstract 文献概要
- 参考文献 Reference
ウィリアム・カレン(William Cullen)は,英国で18世紀を通じてもっとも優れた臨床家のひとりと数えられている。彼は1710年にスコットランドのハミルトンの裕福な家に生まれ,17歳の時にグラスゴー大学に入学した。しかしながら,医学部には数人の教授がいたが,称号だけで,教育はしていなかった。そのため,2年間をグラスゴーの外科医ジョン・ペイズリーのもとで徒弟として過ごした後,ロンドンへ出て,さらに教育を受けた。船の外科医の職を得て,西インド諸島へ2年間の航海をした。そののち,内科医(MD)になることを決心し,1734年から1736年にエジンバラ大学医学部に進んだ。このころ学生の討論クラブに所属していたが,これは後に王立医学協会の母胎となった。当時のエジンバラの医学者の多くがオランダのライデン大学に留学したものだったが,カレンはついに留学することはなかった。その後ハミルトンにもどり,ハミルトン公爵の侍医となった。ハミルトンで開業してまもなく,ウィリアム・ハンターという若者と知り合い,ハンターとは生涯を通じて親しく付き合うことになる。カレンの門下生になったハンターは基礎医学を学び,解剖学を修得するためにエジンバラ大学へ進み,最新の出産方法を学ぶためにロンドンへ出て勉強をした。そこで多くの学生に外科学と産科学を教えることになる。
カレンは1740年にMDの称号をグラスゴー大学から受け,1746年から教育職に就くことになった。1751年にグラスゴー大学の医学教授となり,化学と医学の教育を続けた。1755年にはエジンバラ大学化学教授になり,1757年にエジンバラ王立病院で臨床教育を開始した。1766年には生理学の教授に任命され,1769年から医学実地を講義しはじめ,63歳(1773年)になって,はじめてエジンバラ大学の医学教授の職に就いた。1789年にこの職を退き,1790年に死亡した1)。
Copyright © 2009, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.