発刊によせて
「神経文字学―読み書きの神経科学」―岩田誠,河村満●編集
谷川 俊太郎
pp.103
発行日 2008年1月1日
Published Date 2008/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1416100215
- フリーアクセス
- 文献概要
- 1ページ目
―詩を書く立場から―
些細な一時的失読,失書は多くの人が経験していると思いますが,健康な人間は読み書きを子どものころからほとんど呼吸と同じようにしているので,コトバを失うことを,たとえば癌ほどには心配していないのではないでしょうか。ですがたとえ部分的にでも読み書きの能力を失うことは,他人とのコミュニケーションがとり難くなるだけでなく,生きている世界そのものの秩序が崩れていくことでもありますから,その不安は健康な人間の想像にあまります。私はコトバを材料に,詩という細工物を作る仕事をしていますから,本書を多分他の仕事をしている人より切実な感じで読んだと思います。
詩はどんなふうにして書くのですか,というような質問をされることがあります。パソコンの前に座ってコトバが泡みたいに浮かんでくるのを待つのです,というのが私の答え方です。浮かんできた数語ないしは一行を昔は鉛筆で書いていましたが,今はキーで打ちます。深層の混沌から生まれてきたコトバが表層で分節されて定着し,眼に見える形でディスプレーに現れる。普通は意識することのない,脳と眼と手をむすぶその働きの不思議さ,精妙さを,本書は脳の働きのある種の欠落から追求し,いわばネガからポジを写しだすように私たちに示してくれます。
Copyright © 2008, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.