こどものsocial medicine 病気とともに積極的に生きる
登校拒否―1.増えてきた社会的背景を考える
吉川 武彦
1
Takehiko Kikkawa
1
1国立精神・神経センター精神保健研究所
pp.1008-1009
発行日 1992年11月15日
Published Date 1992/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1414900649
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「登校拒否」は,「怠学」を追求していたBroadwinが,怠学とはいささか違う心理的メカニズムをもつ「学校嫌い」を1932年に記載したのを嚆矢とする考えが広く認められている.その後,Johnsonが1941年に「学校恐怖症(School Phobia)」と呼び,これが定着し1960年頃までよく用いられた.このあと先進諸国において研究が広がるが,それはとりもなおさずこの現象が先進諸国に広がったということでもある.
わが国における登校拒否に関する研究報告は1955年頃から見られるが,初期のものは学校恐怖症の研究として報じられている.1965年を過ぎる頃からは学校恐怖症に用いられた神経症メカニズムでは説明がつかない症例の報告が相次ぎ,これらを包括する言葉として「登校拒否」が使われるようになった.その際「ここでいう登校拒否は怠学を含まない」と注釈されることが多かった.
このあと「不登校」が登場する.長いこと思春期・成年期問題にかかわってきた清水将之(名古屋市立大学)は既に1967年に不登校という言葉を用いているが,不登校が―般化したのは1980年代に入ってからである.
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