特集 病院総合医 免許皆伝
病院総合医の存在価値が発揮される時!―私の経験から
総合医が求められる時―東日本大震災の経験から
五十野 博基
1,2
1日立総合病院内科
2筑波大学附属病院総合診療科
pp.655
発行日 2011年8月15日
Published Date 2011/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1414102263
- 有料閲覧
- 文献概要
震災当日の対応
2011年3月11日午後,地震発生.通常診療は終了し,ロビーに仮設の救急診療ブースと観察ベッドがつくられる.一部の病棟は損傷して避難指示が出る.新棟での診療は継続可能だが,入院病床は限られている.帰宅可能な患者は一時退院とし,同日夕方には緊急入院用の病棟が一つ確保される.
当院の通常体制は臓器別専門科型である.震災の新入院に対応するため,初期研修医から各専門内科6年目まで,十数名の若手医師が集まって,急造の総合内科チームが結成される.もともとの入院患者は各科で対応し,内科の新規入院患者すべて(循環器科を除く)を,このチームを中心に診療する形が自然とできあがった.病棟のホワイトボードに次々と患者氏名・傷病名が記載される.より被害の大きい病院からの転院搬送も受け入れるが,避難にも近い搬送での紹介状の情報不足に,家族との音信不通など,情報収集に難渋した.入院時の詳細な生活歴聴取が大切だった.電気・ガス・水道供給にも被害が出て,院内は非常電源のみの暗がり.院外と連絡はとれず,初日はチームから各科オンコールも兼ねた4人が泊まり込み対応となった.長丁場も覚悟した2交代性シフトを組む.各科対応から一つのチームに切り替えたことで,日勤・夜勤ともに4~5人の内科医を無理なく配置することができた.
Copyright © 2011, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.