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わが国における癌告知の現状をみると,早期の癌や予後の良好な癌については医師側も患者側も告知に対して賛成する者が多く,これについてはあまり大きな問題はなさそうである。むしろ進行癌や末期癌患者に対して,現在の状態やこれから近い将来に予想される結果を,いかに本人に知らせるべきか,あるいは知らせざるべきかが問題といえよう。これまで癌告知の賛否をめぐっていくつかのアンケート調査が行われているが,一般的傾向として,健康な一般の人々では過半数が癌告知を望み,これに対し医師の方は進行癌患者への告知賛成者は少ない。しかし,一般の健康人でも自らが癌になった場合には,また考え方が変わる可能性もある。どんな患者でも癌と告知されれば多かれ少なかれ精神的打撃を受けることは確かで,とくに予後の悪い場合では死の宣告にも等しいものであり,その失望や苦悩は測り知れないものがある。とくに絶望感や孤独感から生きる望みを失い,少数ではあるが自殺する者もいるということは無視できない。このような精神的打撃からの立ち直りは,患者の性格や受容能力によっても左右され,告知の患者に与える苦悩とその反応を予見することは困難である。このようなことから患者に癌であることを知らせなくてはならないと考える医師は依然として少なくない。これに対し告知を受けていない患者は自分の病状の悪化とともに不安感がつのり,いつかは快方へ向かうであろうという期待が最期に裏切られた時.その落胆とやり残したことへの後悔は想像を絶するものがある。医師のほうも嘘をつくという苦悩を背負わされ,良好な医師と患者の関係が保てなくなり,医療を行う上で支障をきたすことになる。他面においてこのように癌の告知には好ましい点があり,一概に告知の是非を決定することは困難である。
最近ではわが国においても余命は患者自身のものであり,その過ごし方は患者自身が決定するべきものという立場から告知賛成者がふえているが,欧米のように個人の利権を尊重した個人主義を基盤としている社会と,わが国のように伝統的死生観をもち,人情を重んじる家族主義社会とではおのずと告知に対するニュアンスが異なり,この問題には社会の制度や習慣,文化,宗教といったものが絡んでくる。結局のところ,現在のわが国の医療状況では個々の症例ごとに判断せざるを得ない現状であり,告知に際しては最期まで患者の力になり,共に闘う覚悟が医師側に必要であろう。告知は当然のことながら,患者のためのものである。告知によって患者自身が積極的な態度で病気に対応していけるように今後の生き方をより良いものにする目的で行われるものでなければならない。そのためには告知後の多面的サポートがより重要となる。そういう意味では一方的な情報の通達を連想させる「告知」という言葉は適当ではないかもしれない。
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