日本泌尿器科臨床史・14
高野長英と泌尿器科学—その1
友吉 唯夫
1
1滋賀医科大学
pp.438-439
発行日 1992年5月20日
Published Date 1992/5/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413900600
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高野長英(1804〜1850)(図1)が泌尿器科学者であるというわけではない.幕末の医師であり,蘭学者であり,また幕府批判の論客でもあった.最後は獄に放火して逃亡し,偽名を用いて開業しているところを幕府の捕吏につかまり,相手を殺傷して自刃したのである.その著作のなかに,泌尿器科の関連事項が詳細にとり挙げられているので,今回はそのうちの『医原枢要』(1832)(図2)を紹介してみようと思う.
本書は,日本で初めての生理学書であるが,高野は人身窮理の学と称していた.デラハイエ,ブリュメンバフ,ローセなどの解剖学書あるいは生理学書を翻訳し,それを統合して1冊の書としたのである.高野は若いころ長崎の鳴滝塾でシーボルトから蘭学教育を受けたが,その時の成績は群を抜いており,外国語とくにオランダ語は優秀で日常会話にも不自由しないほどであった.高野の才能にはシーボルトも驚嘆したといわれる.
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