追悼
田村一先生の死を悼む
東福寺 英之
1
1慶応義塾大学医学部泌尿器科学教室
pp.177
発行日 1977年2月20日
Published Date 1977/2/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413202311
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昭和52年1月28日午後2時40分,外出先から自宅に御元気に帰られた先生は食堂の椅子に腰かけられたまま大往生をとげられたのであります。一瞬のことなので側に居られたご夫人も信ずることができず大学に連絡する間もなく近医の往診により死去が確認され狭心症ということであつた。御顔に一片の苦痛の様子もなく79歳の一生を終えられました。
先生は明治30年2月2日栃木県にお生れになり,千葉県立千葉中学校から北里柴三郎先生によつて創設された慶応義塾大学医学部に進まれ,大正12年第1回生として卒業されただちに当時の皮膚科,泌尿器科学教室に入局助手となられました。入局後は皮膚科領域ではスポロトリコーゼの研究が特筆すべき業績であります。昭和4年講師に就任されるまで一時,加藤元一教授が主催される生理学教室に出向され昭和5年医学博士の学位を授与されました。東京女子医学専門学校(現在東京女子医科大学)の皮膚泌尿器科教授となられて後は頭髪の自家移植により無毛部の治療を発表され今日の臓器移植の草分けと考えられます。第二次大戦中に慶応義塾大学医学部の医学専門部の設立に参加され,教授としてその育成に多くの苦労と努力を注がれたのであります。昭和19年北川正淳教授が病のため定員外教授となられた後は大学教授として泌尿器科講座を担当されました。
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