追悼
故 田村一先生追悼記
南 武
1,2
1慈恵医大
2国立西埼玉中央病院
pp.174
発行日 1977年2月20日
Published Date 1977/2/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413202308
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田村一先生の急な御逝去には,まつたく愕いた。昨年は野口英世博士生誕百年祭の準備のために同記念会の評議員会も何回か開かれ,その都度元気な先生にお逢いしていた。口をしつかりむすんだままの,だが,あの温和な笑顔でまず会釈をされる。そして,そのあとでおもむろに静かに話をされる先生であつた。あの温和な先生の笑顔に接することはもうできない。寂しいことである。私が先生と初めて直接お話をしたのは昭和27年2月である.私は慈恵の外科の助教授からいきなり泌尿器科学の教授に選任されたので,学会の一部では問題になつたらしい。私自身はそんなだいそれた考えはなく,選考委員長だつた故樋口一成学長からの要請を三度もおことわりしたのだが,諸般の事情でやむなくお引き受けしたのだつた。しかし,まだ戸惑つていた頃である。泌尿器科学会にはまつたく知つた方はなかつた。
当時の学長永山武美先生や故樋口先生が一席をもうけて高橋明先生や田村一先生等々に御案内し,私を紹介し,その後の御指導をお願いしようということになつた。そのとき高橋明先生と田村一先生の御二人が来て下さつた。その席で田村先生は泌尿器科学会の様子を話して下さつたり,励まして下さつた。しかし,先生との出合いはもつと古いのである。私は学生時代弓道部員で弓をひいていたが,当時の千葉医大と慶応の3大学間で定期戦をやつていた。昭和5〜6年の頃だ。その定期戦の道場で慶応の弓道部のOBとしての先生のお顔を拝見しているのである。
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