追悼
田村一先生の御急逝を悼む
籏野 倫
1
1慶応義塾大学医学部皮膚科学教室
pp.175
発行日 1977年2月20日
Published Date 1977/2/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413202309
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田村一先生と本誌との関係は極めて古く本誌の創刊以来で,社名も当時日本医学雑誌株式会社と称していた頃であります。先生が博学多識で趣味豊富な方であつたことは先生を存じ上げる誰もが等しく認めることで,これらについては別に述べられることと存じます。
先生がいかに本誌の編集に情熱を傾けておられたかは創刊当時,私たちの医局で先生が故横山硈先生(前編集同人)と編集について御相談されていることを幾度となく耳にしたことから強く印象に残つております。先生は本誌に限らず雑誌の編集にはことの他関心をお持ちで,古くから学内の慶応医学誌の編集理事をされその発展につくされると共に本誌の前身「臨床の皮泌と其境域」誌の編集にもあたられて論文の内容もさることながら活字の大きさ,文章の体裁,表紙の色などにまで細かく注文をつけられていたようで,本誌が戦後いち早く昭和21年10月に第1巻第1号を創刊し,次いで第2号,第3号が翌22年4月と5月に,更に第4号が8月に発行されるまでの御苦労は大変なことであつたろうと思われます。変則的な今でいう季刊誌から,第2巻では隔月刊に,そして漸く月刊誌の形態となるに至り,以来第20巻までは皮膚科と合同でありましたが,学問の進歩と時代の趨勢により第21巻からはそれぞれ二誌に分かれ,現在に及んでいます。
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