随筆
想い出のままに
根岸 博
1
1岡山大学
pp.483
発行日 1967年5月20日
Published Date 1967/5/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413200179
- 有料閲覧
- 文献概要
自分が東大皮膚科泌尿器科教室にはいつて恩師土肥先生のご指導をいただくことになつたのは大正8年の12月であつた。助教授は中野等先生で,医局長は広瀬常雄君であつた。自分は大正5年東大卒業後,研究上の都合で伝染病研究所に暫らく技手を勤めていたので同期卒業生であつた篠本慎一君(後に満大教授)や橋本喬君(後に新潟大学長)よりも後れて入局した訳である。そして今や恩師土肥先生を始め叙上の諸兄いずれも他界されたのに身体のあまり丈夫でもない自分が独り余命をつないでいることは常々,密かに心淋しく思つていることであると共に,人の寿命というものが測り知るべからざるものであることを痛感するのである。
当時土肥先生は毎週2回午前中ポリクリを診られ,その他系統講義及び臨床講義をなされた。系統講義は主に皮膚科学について,時に極めて稀に,淋疾について講義されることもあつた。臨床講義にはいつも皮膚疾患が出された。泌尿器学の方は中野助教授が主として担当され,週に幾回か皮膚及び泌尿器の外来にも出られた。
Copyright © 1967, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.