随筆
並木重郎教授の想い出
百瀬 剛一
1
1千葉大学医学部泌尿器科
pp.723
発行日 1968年9月20日
Published Date 1968/9/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413200493
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並木教授は大正15年東大医学部を卒業,直ちに皮膚科泌尿器科教室に入り,遠山,高橋両教授の指導下に,螢光性色素の光力学的作用,又は本邦では初期時代の泌尿器科的レ線学などの研究を,学生時代から得意とされた数学的知識を駆使して検討されている。後年,皆見賞を受けられた駆梅療法成績の統計的観察などにも難解な数式を応用してペニシリン使用量などを決定されているが,その当時私共も高校時代の数学を復習し,計算器を操り先生の御仕事を御手伝いした事を想い出す。
先生は長大,新大の助教授,金大教授を歴任され,昭和24年千葉大教授となられたが,御転任に当つては,先生の学識,人をひきつける御人格などを反映して学生,教室員に激しい留任運動などが起り中々容易に行なわれなかつた様であつた。本学に赴任されるや,忽ち学生間に強烈な印象を与えられ,当時学生であつた教室の三橋助教授は次の様に語つている。先生の講義は極めて魅力に溢れ,常に最新の内外文献などを織り込み,微に入り細に亘るユニークなもので,当然その年度内には終了せず,その続きは次年度クラスに引継がれたため,継続講義を次年度のものと聴講した何人かが居たという。先生は自分の講義は教室員を対象としたものだと言われたが,講義時には教室員も大挙してノートを携え列席するという当時の他講義には見られない盛況なものであつた。
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