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当院は,中央線立川駅北口から北へ1.3km,徒歩で約15分のところ,元立川飛行場の跡地で,昭和記念公園にほぼ隣接したところにある。日本で初めて広域災害を想定した医療の基幹施設として平成7年7月に国立立川病院と国立王子病院が統廃合され開設された。当国立病院東京災害医療センターは国土庁策定による立川広域防災基地の医療拠点となっており,周辺には防衛庁,警視庁,東京消防庁,海上保安庁,国土庁,食糧庁,厚生労働省,東京都などの施設が存在し,大規模災害発生時にはこれら主要機関が当地に移転し対応することになっている。また隣接して立川日赤血液センター・輸血備蓄センターがあり,常時緊密な連係のもと緊急時の補給体制が整っている。このため平時の手術の際の輸血は,自己血輸血を除くほとんどがType&Screenで行われている。平常時診療と災害時医療拠点機能,救急医療と一般高度専門医療の両立を目指す新しいタイプの病院である。診療科は23科で,医師数は研修医27名を含めて123名,病床数は平時455床,災害時は900床まで増床可能で,泌尿器科の病床数は30床である。
当院発足時の泌尿器科は,国立王子病院から廣本泰之医長,国立立川病院から筆者,冨士幸蔵医師,鈴木俊一医師(研修医)の計4名であった。そもそも国立立川病院の泌尿器科は,昭和50年9月に当時国立病院医療センターに勤務していた筆者が中野巌医長から「立川で泌尿器科医を欲しがっているので君が行きなさい」といわれ赴任したとき,皮膚泌尿器科の泌尿器科担当として始まったのである。皮膚泌尿器科の医長は皮膚科が専門の竹内仁幸先生で,赴任当初は泌尿器科の患者が少ないため「皮膚科に転向したらどうかね」といわれたほどであったが,昭和53年3月には外来患者が1日30人前後となり,国立病院医療センターにおられた廣川勲先生に無事引き継ぐことができ,泌尿器科として独立した。その後,平成5年3月に廣川医長が定年退官するまでに医長以下,厚生技官1名,研修医1名の3名を擁するに至った。その後をまた筆者が引き継ぐことになるとは思ってもいなかったが,平成5年4月,今回は昭和大学からの派遣という形でふたたび立川に赴任することになり,統廃合を経て現在に至っている。平成14年7月から念願の透析室が開設され,その時点から医長以下,厚生労働技官2名,レジデント1名,研修医1名の5人体制となっている。
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