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4年ほど前の外来が終わったある日の昼下がり,心臓外科の同級生から電話があって,患者さんを診て欲しいという.ICUに行ってみると冠状動脈バイパス手術後17日目の患者さんが,体幹にパラパラと丘疹をきたして臥床していた.聞けば,前日は経口食を摂れるほどまでに順調に回復していたのに,急に発熱と発疹を生じたという.かなりの重症感を伴っていた.「薬疹ではないか」と考えたが,同級生の彼は,「今までにも手術は完璧だったのにこうして亡くなった患者さんが何人もいる.調べてほしい.」と頼まれた.生検をして結果待ちの間に文献を調べてみると,以前から術後紅皮症の中に薬疹ではない重篤なものが含まれていること(すでに,その卓見は1968年赤井により指摘されている.皮膚臨床10:745),それが最近どうも輸血によるGVHDではないかと推定されはじめていること(井野ら,外科48:706,1986)が判った.数日後に出来上がったHE標本も典型的なGVHDの所見を呈していたのでICUに報告に行ってみると患者さんは,汎血球減少と下痢ですでに危篤の状態だった.遅すぎたのである.それから約半年後,今度は腹部外科から連絡があって,同様の症状を呈した患者さんがいるという.今回は,直ちに凍結切片で診断をつけ,骨髄移植を手がけている同級生や輸血部の先生に依頼して集学的治療を試みたが,やはり患者さんは亡くなってしまった.剖検後,皆で話し合いながら,「やっぱり予防しなくては駄目だ」ということに落ちついた.しかし,その経過中にHLA phenotypeの変化を証明したり(Lancet 1:413,1988),学内で,血液製剤の放射線照射が始まるなど一定の成果があがり,最近,学内ではこういう症例は減ったようだ.輸血後GVHDは,日本人のHLAハプロタイプの特殊性によるところが大きいために,本邦できわめて多いが,昨年末,欧米からも報告が出た(Arch Dermatol 126:1324,1990.私も,「英文で発表を!」といいながら,邦文の報告にとどまったのをひどく後悔している.).しかし,今回の経験から学んだことは,疾患の解明には各ステップごとにkey roleを果たしている人々がいて(術後紅皮症の概念を1955年に提唱した外科医,1968年,その中に重症型があるとした皮膚科医,1985年にGVHDの可能性を指摘した心臓外科医,それを実証した血液学者など),着実に医学が進歩していること,皮膚科医には,その進歩に対してまだまだ貢献すべき分野が他科領域にもあることであった.われわれの前には,こうして解明の待たれる疾患が山積しているはずである.
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